昔からママの機嫌ばかりを伺う子供だった。

ただ大好きなママに怒られるのが恐くて、ママの言うことならなんでも聞いた。学校にも習い事にも休まず行った。テストで100点を取るのも、学級委員長になるのも「当たり前」だった。新しいパパが出来ても反抗しなかった。将来の夢は前の席の女の子の真似をした。だから、生クリームが食べられないわたしの将来の夢は、ケーキ屋さんだった。

言われるままに中学受験をして、エスカレーターで高校に進学した。小学生の頃から国語しか好きじゃなかったわたしは、中学生になっても高校生になっても現代文しか出来なかった。化学の勉強が思い通りにいかなくて、中間テストの前日に太ももをカッターで何回も何回も切ったのが初めての自傷行為で、今思い返してもなんて馬鹿なんだろうと思う。

「良い大学に行って良い会社に就職して良い男性と出会って良い家庭を築くのよ」というママの言葉を疑うこともせずに大学へ進学し、「一部上場企業への就職=幸せ」と定義づけられた世界で過ごした。そうして3年後、就活をした。

就活というのはとても恐ろしいもので、自分のことを自分で理解しなければいけなかった。自分の好きなこと、嫌いなこと、得意なこと、苦手なこと、将来の夢、目標、キャリアビジョン、なんとか、かんとか。とにかく自分を知り尽くす必要があった。幼い頃からママの言うことしか聞いてこなかったわたしには、これは実に恐ろしいことで、


そのなにもかもが無かった。

本当に無かった。


唯一あるとすれば、絶対音感があることと、人よりちょびっとだけ歌が上手いこと、あとはお経を詠めることくらいで、一般的に会社で働き、社会の歯車になる上ではなんの役にも立たないことだった。

大学でいくら「論理的思考力」やら「物事を多面的に見る力」やらを身につけたところで根本は何も変わっていない。いくら資料を作って区役所にプロジェクト提案をしたって、どエライ大企業様と提携して事業を推進したって、そんなの肩書きだけだ。わたしには本当に好きなことも、やりたいことも、なにもない。それなのに親に言われるままに過ごして来た「経歴」と「学生時代に力を注いだこと」だけはやけに立派に見えて、頭でっかちすぎて、きっとバレバレだった。

わたしは空っぽな人間で、近づけば近づくほどそれが他人にバレてしまう。面接のたびに「わたしは空っぽです!!アッハッハ!」と叫んでいるようなものだった。そして自分でそれを自覚するのも辛かった。自分を知れば知るほど自分に何もないことを自覚していく。悲しいくらいに下手な嘘をついて、必死に取り繕って耐えて、耐えて、やっとのことで社会人になったと思えば、毎日中身のない生活が始まった。

無心で会社に行って無心で仕事をして無心で帰った。お金があっても買いたいものがない。やりたいことがあったとしても心も体も疲れすぎていて何も出来ない。このまま自分は空っぽのまま死んで行くのかと思ったら毎朝涙が止まらなかった。会社へいくことを考えるたびに熱が出て動けなくなった。


全てから逃げて実家に帰り、ベッドとトイレしか往復しない生活が始まった。

けれどそれが一番ダメな選択だった。


こんな歳にまでなって、わたしは会社にも行けず、アルバイトも出来ず、本当に何も出来ず、本当に本当に何も出来ず、親に負担ばかりかけている。



生きている価値なんて一つもないと思った。

毎日そう思った。

思わない日がなかった。



毎日何も出来ないことが想像以上に辛くて、なんとか週一でも労働して生きる価値を見つけようと思って試したアルバイトも3週間が限界だった。


わたしのせいで大好きなママが精神科に通うのも見ていられなかった。


もう全てやめようと思った。生きることがこんなにも辛いことだと知らなかった。どうしてわたしはこんなに出来損ないなんだろう。ただ普通でいたいだけなのにどうして普通になれないんだろう。普通の人が出来ることがどうしてわたしには出来ないんだろう。いつからこうなってしまったんだろう。ねえ、わたし、ちゃんと普通の子供だったよね?


どうしてだろう。


前世でよっぽど酷いことをしたんだろうなあと失笑しながら気分転換に作ったボサボサのクッキーを、ママとパパは「とっても美味しいね」と褒めてくれた。


そうして馬鹿みたいに寝るか泣くかしかしていなかったある日の夜、ふとママがわたしを抱きしめて、「生きてて良いんだよ」と優しく声をかけてくれた。不思議なくらい「あー、生きてて良いんだあ、わたし」と思ったのを覚えている。

その次の日から少しずつ活動的になった。テレビを見るようになって、ピアノも弾くようになった。絵を描いたり、本も読み始めて、外にも出た。人と会ったり、花を見たり、美味しいコーヒーを飲んだりした。そうしていくうちにお金がないことに気づいて、お金を稼がなきゃなあと思った。


今のわたしが一番出来るかもしれないことを考えて、そうして、わたしは地下アイドルという職業に就いた。

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