生きるために自分を傷つけるということ

自傷行為の目的というのは、大きく2つに分けられると思っている。死ぬための自傷行為と、生きるための自傷行為。前者は誰にでもわかる。そして、後者の方はあまり理解されない。生きるための自傷行為にも、その種類や原因は人の数ほどある。

わたしは「自分は頑張っている」と自分だけで認識することが得意ではない。そして、唯一「自分は頑張っている」と感じられるのが、自傷行為をしている時だ。この自傷行為というのは、リストカットやオーバードーズ、過食、拒食などに限ったことではない。気力の限界まで働き続けたり、寝ることをやめたりすることも、立派な自傷行為に当てはまると思っている。自分で自分を追い詰め、傷つけるのは、苦しい。苦しいし、辛いし、痛い。大体の人は、苦しかったり、辛かったり、痛かったりすることは苦手だと思う。そういう一般的に人が避けるような酷いことを自らやり遂げることでしか、「自分は頑張っている」と感じられないのである。

しかし、何故そこまでして、「自分は頑張っている」という自意識=自分で自分を認めること を求めるのかというと、それがないと他者からの評価が正しく機能しないからだ。自分で自分のことを認め、「自分は頑張っている」という核を少しでも築く必要がある。そして、他者からの「あなたは頑張っている」という評価がその核の周りにペタペタと付いていくことで、あらゆる自信や自己肯定に繋がっていくのであって、そもそもの核が無ければ他者からの評価はただ空の中に落ちるだけだ。「あなたは頑張っている」などという言葉をもらっても、それはその人にとってのただの主観であり、ただの気遣いであり、正しい評価ではない、などと重箱の隅をつつくような考えをして、ああ、他人に気を遣わせてしまった、と落ち込むだけだ。

「あなたは頑張っている」という評価を素直に受け取れるようになるために。それを自信に繋げることが出来るようになるために。そんな理由で自分を傷つけるのはおかしいと思いながら、そんな理由で自分を傷つける人間がいる。今日も生きている。

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