Twitterから生死を心配された話

Twitterからこんなメールが来た。ウケる。



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別にこれはTwitterの社員さんがわざわざわたしのことを心配してカタカタとメールを打ってくれたのではなく、きっと数ヶ月前の事件を発端として大勢の人たちが「死に関連するツイートは犯罪に繋がるから全部ダメ!そういうアカウントは凍結だ!」などと頭の悪い文句を言いまくったおかげで、Twitterの社員の人たちは「死にたい」などというツイートが報告され次第Slackかなにかで社内共有されている「問題のある利用者向けの文言一覧」みたいなファイルの中からいい感じのテンプレを一つ選んで、報告のあったTwitter利用者のメールアドレス宛にコピペして送信しなくちゃいけなくなったんだろう。
もしその人が死んでしまったとしても「私たちはきちんと止めました」という建前をつくる為に。会社を守るために。多分ね。

だから、ただただ仕事を増やして申し訳ありませんという気持ちだ。今のところ死ぬ予定はないし、もし「一緒に自殺しませんか」「殺してあげます」とDMが送られて来たとしても無視するし、夜道で通り魔に襲われたら怖いし、殺人鬼に追いかけられたら全力で逃げると思う。明日ライブあるし。チェキ描き終わってないし。あと富士急行きたいんだよね。

だったら死にたいって言うなよアホじゃねえの、というのが世間の意見だと思うし、わたしもそれは超思う。

じゃあなぜわたしが死にたいと言い続けるのかというと、まあ本気で死のうとする時も月に数度はあるんですが、大体は常に死にたいと思っていないと、生きていくのが怖いからだ。人生に絶望していないと怖い。夢も希望を持ちたくない。何に対しても期待したくない。理想も目標も要らない。自分も他人も信じたくない。

そして、これはひたすらに、ただの甘えだと思っている。

現状維持は一番楽だ。頑張ろうとしないのは怠惰だ。下だけを見つめて、上を見ようとしないのは愚かだ。
そう分かっていてもわたしは死にたいと思う自分を辞められない。傷つきたくないからだ。裏切られたくないからだ。わたしはどこまでも駄目だ。

こうやって自分の価値を自分で落として、他人からの期待値を最低ラインまで下げることでわたしはやっと安心できる。身体に見える傷をつけるのもその為だ、心の病は目に見えない。可視化させなければ認知されない。初対面で「こいつはメンヘラ(笑)だから関わらないほうがいい」「自傷癖があるなんて人として終わってる」「超キモい」「さっさと死ねよ」と最初から思ってくれる。見下してくれる。馬鹿にされる。とても楽だ。人からの期待を背負えるほど、わたしはいい子になれない。


生きたいという気持ちを否定したいし、死にたいという気持ちも否定したい。矛盾だらけでアホだ。またこんな馬鹿みたいなブログを書いてしまった。いつになったらわたしは賢くなれるんだろう。

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