あけましておめでとうございます

なにもおめでたくないんですけどね。2017年は何があったのかというと、就職先を鬱病で辞め、ニートになり、地下アイドルになり、躁鬱病が悪化し、友人何人かを精神的にも肉体的にも失いました。あとは自殺未遂でバイト先を飛んだり、親を精神科に通わせたり、これは2017年が最低な年というわけではなく、わたし自身が最低な人間であるだけです、本当にすみません。いまわたしがどれくらいの感じで生きているのかというと、道に生えている雑草を見て、ああ、強いなあと涙をこぼすくらいの感じで生きています。修二と彰は「ギリギリでいつも生きていたい」と歌っていたけれど、わたしは絶対に嫌ですね。

2017年、一番思い出に残っているのは、死にたいので「死にたい」と言ったら「気持ち悪いし意味がわからない」と否定されたことですね。死にたい理由を聞かれても具体的な答えは何も思いつきません。何が辛いのかと聞かれても何も答えられません。 本当に何に悩んでいるのか自分でもわかりません。だからわたしは『とくになんも辛いことないのに死にたいとか言ってるキモい奴』になっていて、そんな奴に目の前で突然「死にたい」って言われたらえっなにキモいなって思って当然だと思うので、あの時はごめんって気持ちです。そんでそのあとに「躁鬱病 接し方」とGoogle検索されているのを見かけた時はさらにごめんって気持ちです。まあ、その人もよく死にたいと口にしていたし、みんな死にたいと言うでしょう。バイトが8連勤の時、卒論が終わらない時、恋人に振られた時、二日酔いのとき、よく死にたいと言うでしょう。そのくせ、わたしの死にたいという気持ちはすぐに否定します。彼らの死にたいは本当の死にたいではなくて、逃げたいという意味でした。対してわたしの死にたいは、死にたいという意味でした。それだけのことでした。わたしも死にたいと言いながら生きることが一番の人生の無駄遣いだと思います。これはただの同族嫌悪なんですが死にたいと言って腕に傷を作り、死にたいと言って薬をたくさん飲み、死にたいと言って周りに心配をかけ、死にたいと言ってそれでも生きている人間が一番一番一番一番一番一番一番一番一番一番一番醜くて気持ち悪くて大嫌いで人間としての恥だと思います。死にたいのなら死ねばいいし生きたいのなら生きればいいのだと思います。それが一番合理的で効率的で賢いと思うし、わたしは合理的でありたいし効率的でありたいし賢くありたいので本当に死ねばいいんだと思います。死にたいと言って生きている人間の意味がわかりません。死にたいのなら死ねばいい。気持ち悪いし意味がわからない。だからあの人は、わたしに「気持ち悪いし意味がわからない」と言ったのでしょうか。納得です。でもわたしは生きなければいけません。生きなければいけない理由があるので生きなければいけません。だから死にたいと言いたくありません。死にたいと言いながら生きていたくありません。だから2018年は死にたいと思わないことを抱負にしたのですが、朝起きたらもう死にたくなっていたので無理でした。なので変えます。わたしは人と接すると自分のエネルギーが吸い取られていくような気がして、というか実際に吸い取られるので、独りでいるのが好きで、人と会うのが大嫌いです。なのでライブ以外は外に出ずに完全に引きこもったほうが精神衛生的に良いんですが、たまにチャレンジ精神で外に出てしまって毎回精神がドン底まで落ちる、というのを2017年は何回かやらかしているので今年はそういう無謀なチャレンジはしないというのを抱負にします。では。

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